前回に引き続き前田さんの講義、「四季の暮らしと室礼」のレポです。
建築とは違いますが、私たちの暮らしの背景の話、といったらいいでしょうか。
四季と行事、それが失われていくような気持がちょっと読後に襲われました。
季節感こそ大事にしなくては!、どうぞご覧下さい。
~ 日本の四季と行事 ~
季節の影響が思考に与える力も無視できません。
ペルシャと聞けば絨毯だと、皆さんも納得すると思います。
実は設計した家の調度を誂えることがあって、ペルシャ絨毯の専門問屋に行ったときのこと。その時、初めて間近にペルシャ絨毯を見ましたが、美しいですね~。
手間がもの凄く掛かる話も聞いて、全身で圧倒されました。
ペルシャ人のバイヤーの方が説明してくれたんですが、前から疑問に思っていたことを、この際聞いてみようと思い立ちました。
「あの砂漠地帯で、何でこんな美しい文様が生まれるんだろう」、と。
本当に不思議ですよね。
どうもその方の話では、あの砂漠地帯でも一年のうちにひと月ほど春が訪れるそうです。その時を待っていたとばかりにあたり一面花の園、それはそれは美しい光景だそうです。
しかしそれが終わると、またもとの砂漠に戻ってしまう。
だから、「彼らは絨毯に春を閉じ込めておくんだ」、といっていました。
まさに気候風土の記憶が生みだした柄なんですね。
またアフリカなどでは、雨季と乾季、という二つの気候しかありません。
季節が二つということが、物を考える上において大きく作用しているようです。
雨季は3月から8月までで、私たちでいうと春から夏にかけてなんですが、この時期が彼等にとって農耕の時期、いわば生産の時間です。それに対し乾季は雨が降らず、ただただ消費するだけの時間。
このように二つの気候の中で暮らしていると、否が応でも物事を二つに分けて考えてしまう。
例えば夏と冬、東と西といったように、相反する二つの方向性が物を考える上での基礎になるんだそうです。彼の国ではこのような二元論で社会が構成されているといってもいい、ということを聞きました。
このように身の回りの季節が、知らないうちに私たちの記憶に刻み込まれ、暮らす人の思考を決定づけてしまっている側面があるんですね。
それに引き替え、私たちの周りには四季があり、常に季節に寄り添うように暮らしを営んできました。万葉集を初め、古今集などの和歌が、どれほど四季を歌いあげることに熱心だったか。
連歌や俳句にいたっては、四季がなければ成立しません。たった一行の中に季題を盛り込み、自分を表現する。言葉を変えれば、四季を除くと文学や詩は成立しないといってもいいでしょう。
そんな国は世界を見ても日本だけなんですね。その自然といっても静的で荒々しいものではなく、時とともに変化し、動いていくものの中にそれを見たんだと思うんです。
それは、目に見える移り変わりの表面ではなく、その奥にある”はかなさ”とか”不易流行”といったような、変化の中にも一貫して存在するものの中に、四季を感じ取ってきたのでしょう。
とても二元論などで片づけられる、簡単なものではないんですね。
また、私たちは季節の中に、行事を織り込んで暮らしてきました。
伊勢でも神宮さんのおかげで年中行事が盛んだと思います。
この間まで桜で賑わっていた五十鈴川も、もう新緑眩しい季節。
八十八夜も過ぎ、今はもう立夏。これから梅雨を迎え、山の緑も一層深みを増す季節です。夏至には二見浦の日の出、六月晦日は無病息災を願う夏越しの祓い。茅輪潜りですね。
七夕も過ぎれば梅雨明けもすぐそこ。大暑を迎える頃には八朔参り。あっという間に盆が訪れ、早や立秋です。中秋の名月を楽しめば、すぐに秋の彼岸入り。田畑の収穫の時期を迎えたと思ったら、初穂引きでこの地にハレの日がやってきます。五十鈴川がまた賑やかになる時期ですね。
神嘗祭ともなると秋風が吹き抜け、あっという間に立冬を迎えます。
七五三の晴れやかな姿は、毎年おはらい町にも溢れますが、それもすぎると新嘗祭。一年の感謝をさげて早や師走入りとなります。
このように日本の季節はあっという間に過ぎていきます。
季節の移り変わりが、とても早いんですね。
その季節も、早いだけではなく真っ直ぐでも等速でもない。ある時はゆったりとしているかに見えても、あるときは急激に、時には逆行するような奔放な流れのようともいえるでしょう。
だから、どれをとって春といったらいいのか、夏といったらいいのか、その人の主観に左右されることも大きく、一概には決めにくいんですね。それほど季節が変わりやすく、また見所が多いともいえるでしょう。
そのような四季の中で暮らしてきたからこそ、これほど奥行きを持った文化が醸成された、ともいえましょうし、季節感に満ちあふれた中で生活してきた日本人だからこそ、到達できた感覚があるんだろうと思います。
次回は、-「室礼」とは-です。
普段使う言葉ではありませんが、これは”しつらい”と読みます。
難しい話ではありませんので、引き続きご覧下さいね。
(かりの)