家は人と触れ合う構造を、複数持っていました。
コミュニケーションをとるため、重要な意味があったんでしょう。
日本家屋の奥深さが伝わってくるようです。引き続きご覧ください。
~ 客を迎えるに重きをおいた家の構造 ~
みせの間のオモテに対して座敷はオク。
それは単に距離という尺度でなく、空間原理によるものでもあります。
「どうぞ奥へ」という言葉があるように、私たち日本人は大事な場所ほど奥に設ける、という考えが根底にあるようですね。特にオクに至る部屋の構成秩序が重要で、言ってみれば、オクに到達する部屋の数が多いほどオクは威厳を持つことになるわけで、一層日本家屋に独特な深みを与えています。
ここでのもてなしには、実は次の間が効果を発揮します。
客にお茶を出したり、挨拶をする。
そうしたときに次の間が板の間だったりすると、どこに座っていいか分からないし、正座をして話すには板間は堅すぎます。
次の間の畳に座り襖を開け、静かにお辞儀しながら挨拶を交わす。
その後、座敷に躙り入って客と対座するわけですが、客のいる座敷は客が中心の空間になっているので、たとえ亭主といえども客の許しを請うて中に入ります。
こうした動作と作法が、空間と密接して初めて座敷が構成されているのです。
また、畳は座る序列の構成にも役立っています。
元来畳は、板間に個別に敷いて座る場を確保することから始まったものですが、中世になって部屋いち面に敷かれるようになりました。いち面の畳の中にも、空間の序列は厳然と活かされいます。
床の間前の畳も、次の間境の畳も、畳自体に違いはありませんが、そこでは明らかに座の価値が異なるのです。特に茶の湯はそうした規律の統制を根拠にして、全体の美意識が加えられて次第に形作られたものでもありました。
これに対して居間は並座形式、といったらいいでしょうか、上座とか下座の区分立てをせず、座を囲むことで皆が一体になれる場所。いわゆる「ケ」の空間、これが居間です。
ここには真ん中に囲炉裏が切られていますが、これを囲んで座ります。
日本全国普く囲炉裏はあったようですが、全ての家屋にあったわけではなく、伊勢でも囲炉裏が切られていた家は、実際は少なかったようです。
座敷が上下で対座する神聖な場所に繋がっているとすれば、ここはそれらが及ばぬ領域、といっていいでしょう。囲炉裏を囲む四方に座るわけですが、それぞれ座る場所が決められていました。呼び名は別としても、これはどうも日本全国共通のようです。
土間からみて正面が、「ヨコ座」といって家長が座るところ。
そのヨコ座を中心にして、戸口に近い場所が客の座る「客座」。それと反対側に主婦が座る「カカ座」がありました。
一番土間に近い場所、ヨコ座と対面する場所が「きじり」と呼ばれ、“かみさんはきじりから貰え”と言われたように身軽な人が座る場所でありました。
居間においては、このように座の位置こそ決まっておりましたが、尊卑の区分ではないところにその特徴があります。また「猫と馬鹿はヨコ座に座る」といわれたように、このヨコ座が場の中心になります。
主人がこの中心に座って外からの客を迎え、もてなすのです。
座敷は客を中心に構成されたハレの空間であったのに対し、居間では家長と妻がその客を引見する。そんな対等なもてなしがされた場所でもありました。
これらのように、座敷と居間では主客の心理的立場が逆転しているところに面白さがあると思います。言い換えれば、それだけ家は他人を受け入れることに重きを図っていたともいえるでしょう。
今でこそ、私たちは他人とコミュニケーションをとる機会は幾らでもありますが、かつては少ないコミュニケーションの機会をより有効に、大事にと、まさに茶の湯の一期一会に通じるような心持ちが、こうした座の構成の裏に隠されていたのではないのかと思うのです。
そこでの「家」は、まさに社会との繋がりや地域に生きる意義を表していました。
ひとつの家の中でも、このように異なる空間構成で客を迎える用意がある。
この幅が日本の暮らしを、奥深いものにしているのではないかと感じるのです。
次回は、最終回のまとめです。
(かりの)