実際、日本家屋とはどういうものなのでしょうか?
欧米の住まいと比較すると、その特異性がよく分かります。
「日本家屋の暮らしと知恵」、続きのレポです。ご覧ください。
~ 道具と人との関係 (1) ~
サザエさん家で見る波平の部屋も、座卓を片づけて蒲団を敷けば寝室に変わります。日本の住まいはそうした変幻自在の性格も特徴としていました。
特に襖や障子などで仕切られた家は、ひとたびことがあれば全て開放でき、柱と天井だけの空間となってしまうという、住み手の意志次第で閉じたり開いたりすることができる空間でもあります。
父の実家が能登にあるのですが、そこはまさに前時代的な家で、開け放すと大きな空間になります。大体行くときは冠婚葬祭の時で、行くと同時にするのが建具の取り外し。それから掃除をして、おもむろに蔵から道具を出して準備をする。
写真に撮ってないのが残念ですが、冠婚葬祭のときにこういう空間がどういった働きをするのかを、小さい頃から身を以て知らされていました。こういう仕事をする上で、今から思えばいい体験をさせて貰ったと思います。
このような日本家屋の融通無下な性格は、上の写真のような西洋建築の厚い壁や重たいドア、さらには堅牢に守られた鍵の存在なとど比べて、どれほど際立っているかは皆さんにも容易にお分かりいただけるかと思います。
そのように、日本の家屋はある時は寝室に、あるときは客間に、卓袱台を持ってくれば茶の間にといったように、時間の変化や目的によってさまざまな使い方が許容できる。
これも、空間自体が激しい性格を帯びていないためなんです。
これはアメリカの住宅ですが、皆さんにはもうお馴染みですね。
向こうでは通常、ダイニングにはこのようにダイニングテーブルが置かれ、リビングにはソファーが常に置かれた状態となっています。
空間の性格がはっきりしているんですね。返せば他の用途には使いづらい。
この空間は食べるため、この場所はくつろぐためと、その目的が空間化された家なんです。ですから人が空間を移動して、その時に自分に必要な場所へ移って目的を果たしていく。日本人から見ると実は不便な家だともいえるんです。
そこに置かれるものが、「家具」と呼ばれるものでした。
とても簡単に持ち運びができるようなものではありません。
このダイニングテーブルをご覧になって頂いて分かるように、とても大人1人で持ち運びができるような代物ではありません。
こういう間取りが出来るのも、欧米のように土地が広く、家自体が大きいからであって、単純に日本人がその形を真似できるものではないんです。
LDKというスタイルだけを先行して取り入れても、そこでの生活上のソフトが構築されていなければ、日本のような狭い場所ではそもそも無理があるとお分かり頂けるかと思います。
引き続き次回は、道具と人との関係(2)をレポします。
どうぞご覧ください。
(かりの)