「日本家屋の暮らしと知恵」 その3

「日本家屋の暮らしと知恵」 前回に続き前田さんの講義の続きをレポします。
今回は皆さんにも分かりやすい内容みたいですよ。
どうぞご覧ください。
~ サザエさん家に見る日本家屋の暮らし ~
では、それまでの日本の暮らしはどうだったのでしょうか。
ちょっとこちらをご覧下さい。
これ実は、テレビアニメ 『サザエさん』 の家の間取りです。
今は亡き建築家 清家清さんの著書で取り上げていた間取りを拝借しました。
ここには最近ほとんど見かけなくなった、家や家族の姿があります。
庭付き一戸建ての平屋。茶の間があって全ての部屋が襖で仕切られています。それでいて娘婿が同居するという前衛的な要素もあって、これほど日本の家族の理想として、多くの人に長い間愛される作品はないと思います。逆にいうと、この中に日本があるのかな、と思ってちょっと取り上げてみようと思います。
何といってもその魅力は淡々とした日常でしょう。かつての日本には、こんなにゆったりとした時間が流れていたんですね。

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さて、家の間取りをみてみましょう。
この家をみると圧倒的に壁が少ないのが分かるかと思います。どの部屋も行き来が楽にできる襖で仕切られて、茶の間が家の中心にあります。この茶の間は、波平とフネの部屋からも、サザエ夫婦とタラちゃんの部屋からも、カツオ・ワカメの部屋からも殆ど同じ距離にあるのが分かります。到底家庭内別居など起こり得ない間取りですよね。
茶の間には今は懐かしい円形の卓袱台が置かれ、円満な一家を象徴しているかのようです。また、玄関から庭の方へと回した廊下は、各部屋のコミュニケーション通路にもなり、各部屋に適度なプライバシーを与えているようです。
サザエさんを書くにあたって作者である長谷川町子が選んだのが、このような日本の家でした。多世代が同居して暮らし、私たちが理想とする健康的な家族関係やライフスタイルを描こうとしたとき、そのプライバシーよりも全ての部屋が自由に行き来ができる、このような日本の家屋がふさわしいと考えたのしょう。
ご承知のように、ここではどの部屋も鍵のかかるところはありません。覗こうと思ったらいつでも覗ける。しかしこの家には、そうしないだけのルールがあります。
よく見ていると分かりますが、サザエがカツオを叱るときでも、ちゃんと襖の外から声を掛けて襖を開けている。こういう当たり前のルールが日本にはあったんですね。逆に言えばこのルールがこの家を作っているといってもいいでしょう。
また、プライバシーは鍵が保証するものではありません。
仮に鍵の掛かる部屋があっても、そこに入ろうと思えば今の時代、気付かれずにできる方法など幾らでもあります。
しかしそういった手段に頼らず、家族の関係を大事にする中から、日本の暮らしは作られてきたのです。ここに”日本の家”のあり方を見るような気がします。

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ここにひとつ、興味深い記述がありますのでご紹介します。
ドイツの世界的建築家、ブルーノ・タウトが、その著書『ニッポン』の中で書かれていることです。私が学生時代に教わった本ですが、最近、齋藤孝さんの本でも紹介されました。
   「多国民の場合に比して物わかり好く利口な点で、
   遙かに優れているように見える日本の児童は、常に大いなる喜びの種子で
   ある。             ・・・・・中略・・・・・
   母親に背負われた幼児が母のする動作を絶えず見守っているのを私はよく
   観察したことがあるが、彼らは母親のどんな動作も見逃さず、これらの動作
   の意味が大して説明も要せずに自然に彼等の心に刻まれるのである。
                   ・・・・・中略・・・・・
   子どものころの物わかりの好さもまた典型的な日本的な生活法、居住法に
   対する一つの前提である。たとえば紙の襖や障子は、子どものこういう特性
   がなかったら、一体どう成ってしまうことだろうか」

ここでタウトがいっているのは、日本家屋における住まいの特徴が、逆に私たちに住みこなす作法を教えているのでは、ということだと思います。日本の子供たちが西洋の子どもたちと比べ、自分の動作や行動を美しく振る舞うことが出来るのは、障子や襖といった壊れやすく、破れやすい材料で構成されていたからで、だからこそ幼い頃からきちんとした動作が習得できるのではないか、と言っていることだと思うんです。
私も公共の建築の仕事をすることがありますが、そこで障子を使おうとすると決まっていわれるのが、「破れる」、「貼り替えはどうするのか」という否定的な言葉です。その「破れやすい障子を扱う気持の中に、日本を伝える意味がこもっているんだ」と、いつもこの話を持ち出しながら交渉しています(笑)。
我が家でも障子がありますが、子どもが破いたのは一度きりです。初めにきちんといえば、子どもですら破るようなことはしないものです。

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波平の部屋を見て頂きたいのですが、住まいの中に空間の序列がきちんと存在していた、ということも日本家屋の特徴でしょう。サザエもカツオやワカメも、父である波平の部屋では、このようにきちんと正座をして話を聞く。学校から帰ってからも、父がいないこの部屋を、恐らく勝手に開けて中をドタバタ走り回るようなことはしないはずです。それは家族のあり方と共に、序列の中での行動範囲がきちんと決められているからで、それが自然と身に付くことで躾がなされていく。
サザエさん家お馴染みの食卓の風景ですが、よく見ると子供たちは卓袱台の前でご飯を食べるときでも座布団を当てていません。そういえば私も父に言われたような気がしますが、自分の子供たちには恥ずかしながら当てさせてます(笑)。そういうことが当たり前だった日本があって、その中で子供たちは自然と社会性を身につけていったんだと思うんですね。
暮らしの中に、このような日常がちゃんと存在していたのです。
そういう点からもサザエさん家は、家族のコミュニケーションや子どものメンタリティーにとって、最適なハード・ソフトの両面を持った家だと思うのです。
次回は、道具と人との関係をレポします。
  (かりの)