計画が白紙のころから、すでに”だいどころ”はあった。
だいどころの言葉がもつ暖かさ、そこには家族がある。
人の暮らす里の姿を思い描いた。
全体は大きな施設だが、「五十鈴の家」という意識があった。
働く家人にとって、家は家族の象徴である。
外の店に対して、中庭は店奥の作業場、家を賄う場となる。
物干し、井戸端と、だいどころを中心に”ケ”が混在する。
家の懐に遠来の客を招きこんで、伊勢を振る舞おうというのである。
だいどころには4連のかまどが座る。
ひとつの直径尺2寸、2升半を炊く。
かねでは重たく女性では扱いかねよう。そこで陶器の釜を作った。
かまどの加減を覚えるには、何よりかまどの癖を呑み込まなくてはならない。
里のおばちゃんが連日汗して、炊いてはまた始めからと、繰り返し火を焚いた。
火を起し、薪をくべ、釜の熱さを掌で感じながらの火加減は、片時も手を抜くことができない。気温や湿度、その日の風向きにも左右され、かまど自体の温さによっても異なった火加減が求められる。
レシピなどという、生半可なものではない。
全身を研ぎ澄ませたさじ加減ができなければ、焚番は勤まらない。
知恵に裏付けられた上質な身体感覚が、かつての生活には欠かせなかった。
かまどは、へっついを作った尾崎さんの手による。
釜の大きさから火床の高さを決め、釜の間隔を割り出し全体の大きさを決める。
そこへ耐火煉瓦で下地を作り、土を塗りつけ格好を整えてゆく。
最も苦心するのが火を入れる口である。
薪をくべ、灰を掻き出し、炎に空気を送る。煙道とのバランスが重要となる。
火口と灰掻き口の上下二段に分けて、風の流れと空気量を微妙に調節する。
今では5~6本の薪でひとつの釜を炊きあげるそうだ。
中庭には井戸端がある。
ガチャポンと通称する、それだ。
夏は子供たちが我先にと、ガチャポンガチャポンと水を出して遊んでいた。
汲み上げるコツを掴まないと、まわりが水浸しになる。
ここにある水も火も、私たちに近く感じられはしまいか。
懐古趣味でいうのではない。
コックをひねれば出てくる水も火も、現代の生活には欠かせないが、一方大事なことも忘れてはならない。
水を汲むにも、火を操るにも、かつては人の手が介在しなくてはできなかった。
日々の工夫が知恵を生み、知恵の伝承が各家の色をなし、暮らしを支えてきた。家族は知恵と労力の役割を担い、互いの絆を強く結んでいた。
家族があって暮らしが成り立つことを、皆知っていた。
日々働く家人の姿に、里の風景が重なる。
ともすると、頭脳が支配すると考える、現代への警鐘でもある。
(前田)