小間 「龍華庵」(茶の湯サロン5,)

鞘の間を挟んで広間と向かい合わせに、四畳半の小間が添う。
多くの方に使っていただくには、普遍性を持った形が望ましいとの思いと、さまざまな催しに対応できる続きの間としての性格から、四畳半とした。

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四畳半は広間としても、小間としても使える茶室と位置づけられている。
これより広い部屋を、「広間」と呼び、これより狭い部屋を「小間」と呼ぶ。
しかし、ここで提案した四畳半は小間の色彩が濃い。
これが通称、『利休四畳半』といわれる形である。
茶の湯の中で、四畳半の歴史は長い。
かつて四畳半は、名物と呼ぶ舶来品を持つ人たちの、いわば”聖域”だった。
茶人としての資格や権威の象徴が、この四畳半に集約されていた。
それを利休は、晩年になって草体化することによって解体に導いた。
権威との決別の意味が隠されていたのだろう。
利休が最後に住まった、京都聚楽屋敷の四畳半がこの形だった。
今は、裏千家の又隠と呼ばれる茶室にその姿を見ることが出来る。
昼間でも仄暗い室内は、いかにも精神性高く感じられる厳しい空間である。
全てをそぎ落としたその奥に、深く潜む意思みたいなものが見えてくる。
そんな茶室である。

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正面の床は4尺。
床柱には赤松皮付丸太をたて、床框には杉磨き丸太入節、相手柱には档(あて)を取り合わせている。点前座勝手付きには「道庫」と呼ばれる口があり、続きに茶道口を開く。
道庫は年老いた人の点前といわれ、立ち居振る舞いを少なく、座したまま道具を出し入れできるようにと開けられたものである。
天井は網代。
ノネ板といって、薄く割った杉板を編み込んだものだ。それを大和竹の棹縁で押さえている。
茶道口の裏が水屋になる。
広間、小間両方の水屋を兼ねる。
3階の料理教室が当階の厨房を兼ね、ダムウエーターでここに料理が運ばれる。
狭いスペースを有効に使うための方策だった。

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「道具屋は水屋」とは、常日頃彼が言う言葉だ。
人の裏で立ち働き、人をもり立てる。結して自分は表に出ず、陰に徹して背後を支えようとする想いであろう。その心情がいつしか彼の信念となり、”茶の湯サロン”を作ろうと、自身を奮い立たせたのではないかと思っている。
この小間に、大徳寺官長から「龍華庵」と命名、揮毫していただいたと聞いた。
まさに画竜点睛である。
ここに思いが結実し、彼の新たな旅立ちを迎えた。
  (前田)