へっつい脇を抜けると、中庭が広がる。
左手が五十鈴茶屋、右手に小上がりをみて、正面に喫茶棟が建つ。
設計主旨にも触れたが、ここから誘われるまま五十鈴川へ出てみたい、計画当初から思っていた。地域の玄関口として、川へいざなう拠点も創りたい。
川沿いの風景を取り込み、周辺としっかり繋がりたいと願った。
視線の先に、建物を透かして五十鈴川の風景が広がる。堤の桜並木、対岸の森、雄大に展開する山姿。囲まれた中にあっても、どこか抜けていくような透明感が欲しい。
伊勢が育んだ自然にそれを求めた。
中庭を囲む設計は、思った以上に簡単ではなかった。
駐車場に囲まれている立地は、逆にいえば全てが見られる場所でもある。
ごまかしが利かない。
敷地外周の外観は穏やかに、一転して中庭のレベルを上げながら、いかに中に開かれた空間を作るか。屋根の掛け具合など、最も苦心したひとつといっていい。
屋根が穏やかに連なることで、佇まいが生まれる。
それには床と屋根、複雑に異なるそれぞれのレベル差を、どのように繋ぎ連続させるか。建物ごとに違う性格を屋根に与えながら、いかに濃密な空間を構成するかが課題であった。
中庭の床は錆び御影、厚さ2寸(60mm)。
石の厚みは表に出る。とつくづく思う。張った姿からは見えぬが、たとえ隠れていても人の目は、それを肌で感じる不思議な力を持っている。
石もこのようにランダムに張ると、とても穏やかな表情になる。写真からでもお分かり頂けると思う。図面書きは、とかく揃えて並べようとする。私も失敗したひとりなのでよく分かるが、頭で考えたものは、いざ作ってみると固くて見られないものだ。
現代建築ならば、そうも感じないのだろうが、このようなものではたちまちである。
不自然なのだ。
無意識のうちに、我々は異なるものの集合体に、より自然味を見出すのだろう。
そう思うと日本の自然観が、こうした造形の根底にもあるのかと感じる。
中庭には柿の木を、2本植えた。
以前これに書いて大分反響あった石組みだが、この井戸廻りがそれである。
段差を穏やかに見せるため、周囲に植込みを作ったのでさほど目立たないが、存在感がある。こうした隠れた仕事が、全体を引き締めて見せてくれる。
(前田)