S邸、着々と進行中である。
店舗小上がりとあわせて、玄関へと仕事は進む。
樋口さんが下地窓を編みはじめた。
壁の下地となる部分を、そのまま現していることから通称”下地窓”と呼んでいるが、壁を塗り残すことから、別名”塗り残し窓”とも呼ばれている。
通例の下地窓は、中から障子を建てるため、部屋内から窓の下地は見えない。
玄関を上がったつくばいの明かり取りに、下地窓を用いることにした。
今回は改装のことでもあり、この下地窓を景色に見立てようと、「織部窓」を思い立った。
織部は下地窓を景色として、敢えて室内から見えるように使った。
現在に伝わる織部好みの茶室”燕庵”では、床脇の墨跡窓にその姿を見ることができる。織部の工夫は、その下地窓に花入れを掛けることだった。通常、葭(よし)を縦横に編む下地窓だが、葭に花入れの釘は止まらない。そこで折釘を保たせるために竹を挟んでいる。
そのように、下地窓に花が掛かる姿を、織部は好んで作った。
つくばいはS君の伝で、素晴らしいものが手に入ることになった。
さる高名な財閥家が所持した一品で、京都の庭師、比地黒さんの手元にあった。
このような出会いがあるのも、S君の日頃があってのことだろう。
比地黒さんも私に会いたいと、京都からわざわざつくばいを持って、福岡まで来ていただいた。宝篋印塔(ほうきょういんとう)を見立てたもので、笠を逆さに向けて水穴をうがつ、力強い姿だ。鎌倉から室町にかけての時代、と比地黒さんから聞かされた。
既に私のパースもご覧頂いており、この雰囲気にぴったりと太鼓判を押して下さった。
S君夫妻は大感激、宮本さんは見慣れぬ時代ものに、戸惑いを隠せない様子だ。
つくばいを仮置きした途端、現場の職人衆にもどよめきが起こった。
案の定、夕刻からS君の誘いで一献となった。
比地黒さんを招いての仕事の話は、留まるところを知らない。
「宮本さん、良い仕事を残して下さいよ」、比地黒さんは何遍もいっていた。
しきりに、宮本さんもうなずき返す。
仕事が好きで好きでたまらない、そんな気持ちが全身から伝わってくる。
すっかり意気投合して、熱く語り合った。
しこたま飲んだ。
便所で握手、席に戻っても握手、最後にホテルで固く手を握りあって別れた。
後日、お礼状を頂いた。封書表書きの真ん中に、四角に囲って、
「心意気在中」
と大書してあったのには、さすが比地黒さんだと、一陣の風が吹き抜けた爽快感があった。
(前田)