いま福岡通いが続いている。
茶道具商を営む友人の店の改装である。
1階が店舗、2階に茶室、3階では料理教室を開くことになっている。
ご両親が建てられた建物で、彼もこの店で育った。(写真、改装前)
彼は高校卒業後、お父さんの跡を継ぐべく将来の修行を念頭に、京都の大学に入学。
その傍らお茶を習うため大徳寺のある塔頭に、そこで私と知り合った。
私は仕事をしていたが、彼とはウマがあった。
京都で10年の修行の後、年季が明けて地元福岡へ。
お父さんからの代替わりもあって彼なりに思案した結果、住んでいた店の上階から、自分たちが別の場所に転居することで、店の建物ごとを「茶の湯の舞台に」しようと、決断してのことであった。
それは、かつてから”流儀に拘泥しない茶の湯のサロンを築いていきたい”との、彼の念願によるものである。
そのように建物全体が茶の湯に関わることから、内部は数寄屋を基調とした。
狭小な空間ながらも幅広い使い方が出来るよう、空間の密度は高い。
(改装前のS邸)
建築を請け負ってくれたのは、地元の”建築工房 悠山想” 宮本さん。
木を扱うことには定評があり、その活躍は地元に留まらず、その道では大家の存在である。
殊に数寄屋というと京都一辺倒の向きが多いが、やはり地元の材料で地元の人に作って頂くのが本来の建築ではないかと思う。メンテナンスや修繕もそうだが、それだけではない。
建築はそれ自体の芸術的価値だけでなく、様々に取り巻く社会関係性で成り立っているからでもある。これには施主も同意見であった。
是非とも地元の人に請け負って貰いたい、と これは一貫していた。
契約に至るまでには相当な紆余曲折があった。厳しい仕事の上に低予算、しかし宮本さんの熱い気持ちがこの仕事を動かしたと思っている。
この仕事を通じ、数寄屋への取り組みもご覧頂き、厳しいご意見を頂ければと思っている。
(前田)