福岡西中洲の鮨店(2)

谷川建設の好意もあって、見積りもおよそ望む額で納まり、工事に向けて動き出すこととなった。幸い監督の村上さんが、折しも博多転勤となり、この現場を担ってくれることになった。
かつて熊本での一夕、胸襟を開いて痛飲した仲である。

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                  <アプローチを見る>
棟梁を努めるのが鳥羽さんだ。
精悍で木訥というのが第一印象で、職人を絵に描いたような人だ。はにかみながらも伏し目がちに話しをしたのが初対面だった。
手をこまねく暇もなく、材料集めに懸からねばならない。
谷川の存じ寄りでは手に負えないと高橋さんに告げられ、それではと、いつもの京都京北町の辻さんを紹介した。すぐにやりとりの連絡をつけ、手配に懸かってもらった。
丸太や造作材の心配はなかったが、値頃なカウンター材と出会えるか気になっていた。檜と図面に書いたものの、良材の檜となればコストも掛かる。矩の手に廻り、総長さが9mとあって難しい。
仕事をするのが初めてでもあり、高橋さんは私の材料の基準を盛んに探ってくる。電話で子細なやりとりが続いた。
高橋さんがこれならと捜し当て、見に行った先が東京の木場。堺さんも福岡から飛行機に飛び乗って駆けつけた。
高橋さんの見立て通り、目の詰まった良い木だった。秩父の三峯神社から出たものという。中杢が芯に入り、柾目の具合といい赤身が綺麗な檜だった。同材で付台も取れるとあって、ひと目見て即決だった。

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              <檜のカウンター材を木場で>
翌日、京都の京北町に飛び、北山丸太を選んだ。
ここで監督の村上さん、鳥羽棟梁が合流、火の気のない材料置場で選定が始まった。一本ずつ横にして見所を示していくのだが、次第にみなの緊張が高まってくるのを感じる。堺さんも奥さまを連れ、じっと作業を見つめている。
今回は本数が少ないので半日ほどで選べたが、その他の造作材も、ひと揃えに吟味できたのは幸いだった。
木を見て使う箇所を確かめ、杢目の具合を一本ずつ見極めていく。相変わらず辻さんの丸太は杢目が詰まって美しい。日暮れまで材料と向き合った。

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           <赤松床柱の見所を鳥羽棟梁と探る>
それら選んだ材料が、加工場に入るのを見届け、木づくりに入る。
早朝から鳥羽棟梁はじめ大工衆、村上さんも待ちかまえていた。早速、丸太のツラ付けから始める。
最初こそぎこちなかったが、往年の大工とあって次第に手慣れてくる。その頃を見計らって床框を木取る。北山の入節を選んだのだが、節の見所をどう生かすか、糸を張りながら慎重に景色を探っていく。
大工衆が乗ってくればしめたもの、作業場の一画でディテールを書きだし、得心するまで棟梁と納まりを話した。
監督の村上さんは工期が心配で、何とか延ばせないかという。
堺さんも理解してくれたが、考えるよりまずはやってみようということになった。
工事に懸かりだしてからは存外スムーズに進み、終わってみれば工期内で仕上がった。小さな数寄屋仕事ながら、造形は盛りだくさんとあって、大工をはじめ、かかわった人たちは大変だったと思う。

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              <入節の床框を木取る>
短期決戦にもかかわらず、良い仕上がりになったのは、ひとえに互いの関係を良好に保てたことにある。堺さんはじめ、現場の村上さん鳥羽棟梁、纏め役の高橋さんと、一丸となって良い仕事をしようとしてくれたからに他ならない。
建物の紹介は次号で。
(つづく)
 
 (前田)