店主の堺さんから、西中州に店を移したいと依頼を受けたのに始まる。鮨の世界の厳しさや修業時代のこと、私からは建築に込める思いや難しさなど、互いに胸襟を開いた意思疎通から始まった。
店は、握り手の堺さん一人で賄える大きさとし、当初10席として矩の手に回るカウンターと、将来的に弟子を立たせる個室2部屋を用意することとした。
アプローチには腰掛とつくばい、正面の明かり障子で体裁を整えて客席へと導く。カウンターは三峰神社の桧材が手に入り、北山丸太を駆使しながら、上質な数寄の空間を目指した。板場を囲う客席正面には、床を設けて季節感を醸成し、床脇には氷室を造り付けた。福岡赤坂からこの地に移転して1年足らずでミシュラン3ツ星を獲得され、堺さんを盤石に導く発端となった。
施 工 株式会社 谷川建設