福岡県 福岡市
福岡の中洲にほど近い場所に建つ、老舗料亭の建て替えである。近くに住吉神社があり、那珂川には参道である朱塗りの欄干を備えた橋が架かる。中洲に近いこの場所はかつて博多花柳界がひしめいていたところで、少なくはなったがまだ往時を偲ばせてくれる。
以前は3階建ての建物が建っていたが、本計画では敷地を全て使った低層とし、川と座敷を結びながら、日本家屋の風情を体現しようと試みた。
建物規模が大きいのと、準防火地域から主要構造部を鉄骨造としたものの、料亭らしい我が国の美しい建築の形を大切にと、設計を進めてきた。
そのため、見えるところには極力木を用いながら、この大きな構えを不自然なく纏めるため、寸法には最大限の意を払って設計している。道路沿いは、建物高さが高くなることから、高塀の意匠で全体を統一するとともに、主屋の軒高が与える威圧感を解消した。
入口には一段落として銅屋根を差し掛け、顔が指さないよう屈折させて玄関へと向かわせている。全館上足を原則とし、靴を脱いで式台から座敷へと上がる。各座敷は真行草に意匠を配り、それぞれの部屋から、那珂川が望めるように配慮している。
また料亭の不文律から、各部屋に便所を設けたり、遮音に配慮したりといった神経も求められた。
鉄骨造とはいえ、和の意匠に合わせて全てを整えたため、どこにも構造体を感じさせないよう徹底して求めた。そのための計算には苦労を掛けた。
造作にあたっては、計5組の大工が入ったが、それぞれ気を吐き全員一丸となって最後まで納めてくれた。その他の職方も同様、日本伝統の仕事で応えてくれたのは幸いだった。
日本文化を担う料亭として、この現代によみがえった。