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サミット人材開発株式会社は最高の人材を育成することを使命とし、みなさまの更なるご飛躍に、そして地域の発展に貢献してまいります。

棟梁 中里政義

新春のお慶びを申し上げます。
旧年中はブログの更新も滞り、思うように仕事を伝えられずにおりました。
年々なまけ癖が募るばかりで、恥ずかしいことながら、本年もよろしくお願いします。
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              <中里政義棟梁>
年も明けて、昨日から少しずつ机に向かい出した。
実は昨年11月に、盟友である中里政義棟梁が、厚生労働大臣表彰の「現代の名工」に表彰された。
中里さんとは、かれこれ20年以上の付き合いで、私が独立して間もないころから仕事をしてもらっている。八戸に本社をおく「大山建工」の筆頭棟梁で、最初の仕事を依頼したとき、中里さんもまだ40歳を過ぎたばかりのころだった。
とても熱心で細かな仕事もおろそかにせず、15分おきに電話やFAXが流れてくるほど、微細なところに至るまで質問された。仙台の数寄屋住宅の仕事だったが、その質問攻勢で、私自身もずいぶん裸にされたように感じていて、以来親しくなった。
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             <福岡 料亭嵯峨野>
長い付き合いなので、色々と思い出に残る逸話もあるが、彼の熱心さにはいつも驚かされる。
設計で書いた意図を探り、それを具現化するためにはどうすればいいかを考え、図面の寸法を厳守しながらも、よりよい形に導くことを、常に自身に課していた。学ぶ姿勢と実践の能力とを兼ね備えていた。
その人柄はまた素晴らしいく、どの仕事においても相手の懐に入り、施主の気持ちに耳を傾け、信頼を獲得されていた。
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               <松戸の家>
ある現場で、私が監理に行ったおり、ひとつ大きな間違いに気づいた。
それは設計図を渡したときに、くれぐれも間違わないようにと念を押した落とし掛けの高さだったが、部下の大工が図面を読み間違えたものだった。すぐさま彼は直すよう指示をし、自らが腕を振るった。
床柱は四方柾の素晴らしい材料、取り付く框も、入り節を見極めて私が木取ったものだった。それらを傷をつけずに解体しながら、相手柱の丸太と同じものを翌朝すぐに選別して、寸分狂いなく納めていった。
あの時の彼のすさまじい顔と、確かな腕を目の当たりにしたら、責める言葉など言えるはずもない。
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           <大徳寺瑞峯院 茶室 餘慶庵>
私が木の建築を志して京都に行ったのが26歳のとき、爾来、多くの棟梁に啓発を受けた。
中村外二棟梁、平井滋造棟梁、山本隆章棟梁など、名だたる方に学び、薫陶を受けてきた。木の建築を全うに書けるまでには、多くの知らなければならない事柄がある。工業製品で作るものではないだけに、木の生態から材種、木作り、架構の組み方、材種の組み合わせ、関わる多くの職種における技能など、さまざまな知識と経験が求められる。
若いころ、そうした棟梁らから声をかけてもらい、現場に連れていって頂き、ことあるごとに助言を戴いた。自身が忙しいにもかかわらず、そうしたことに頓着せずに門戸を開いてくれた。それがどれだけ今の私の支えになっているのか図り知れない。棟梁と呼ばれることとは凄いことだと身にしみて感じた。
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               <授賞式後に>
中里さんも、きっと私のときのように、若い志ある人に声を掛けているに違いない。そして多くのことを伝えていってほしい。今も彼と現場を進めているが、健康には気を付けて、まだまだ活躍してほしいと願っている。
今回の受賞審査で、推薦文を書かせていただいたことを誇りに思っている。
改めておめでとうございます。
  (前田)

歳末にあたって

今年も残すところわずかとなった。
まだ仕事は残っているものの、何かと慌ただしさばかりが募って手につかない。
賀状も手がつかず、書かねばならないことも手つかずだ。それでもクリスマスともなると、今年も終わるんだという実感に包まれて、何となくホッとする。
あるところで6年越しに掛かっていた計画も、ようやく目途がついた。建築計画としての大変さよりも、ソフトの構築にメンバーの意見を集約させるのに時間がかかった。当然のことではあるが、将来のことを見据え、お互い意見を出し合い決めていく。誰も先のことなど分からないのに、それでも今を基準に進まねば答えにたどり着けるものではない。
町とか、建築とか、それに関わる人について、多くのことを語り合ってきた。いい勉強の機会を戴いたと感謝している。
このまま現実として受け入れてもらえるかは未定だが、やり切れたとは思っている。
福岡の美術商の造作が進んでいて、特注で作る椅子の大まかな木組みができた。
「王様の椅子」と呼んでいるが、ゆったりと大仰に腰かけてもらいたいとの要望から、このような形になった。椅子の職人も激減しているようで、この椅子を作ってもらうのも、かなり探し回ってもらった。
職人不足は建築全般にいえることだが、この先どうなるのか不安が拭えない。
モノを作り出す喜びは、何ものにも代えがたい崇高なものだと思うが、技術の習得までにはそれなりの年月が掛かるのも事実である。若い頃の辛抱があってこそ、確かな技術をモノにでき、それが生涯にわたって身を助けてくれるものとなるのだが、辛抱できない人が多くなったということだろうか。
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明日明後日と、京都での打ち合わせで、今年の出張仕舞いとなる。
漸くコロナ前に戻りつつあるようで、早く社会が元に戻ってくれることを望む。
本年も色々とありがとうございました。
来る年も、微力を尽くしていい建築を作ることのできるよう、精進を重ねていきたい。
  (前田)

三沢の数寄屋<屋根>

すっかりと更新が途絶えてしまって、何とも忸怩たる気持ちが拭えない。
コロナが次第に落ち着きを見せ、仕事の方も動き出して出張が続いている。
それでも、やることが詰まっている状況には満足している。
暫く頑張って、乗り切りたい。
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              <建物全景を見る>
三沢の数寄屋も、秋の上棟以来、屋根周りの仕事に掛かりっきりだった。200坪の建物の屋根というと、屋根面積では400坪近くになって、仕事量は留まることを知らない。化粧垂木を打って、起りに合わせて野垂木を配り、断熱処理をしながら野地板を打つ。
三沢は構造計算上、最も積雪重量が重い地域である。通常の数寄屋建築ならば、1.5尺間に配る垂木も、1尺間となって、垂木自体も太くしなくてはならず、大工の手間も自ずと掛かり、思うように進まない。
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              <建物中庭を見る>
それでも、漸く屋根仕舞いがついて仮設の屋根が取れた。
日本建築は屋根の造形が最も大事なところで、この瞬間、果たして設計が良かったのかが試されるところ。各所につく破風も、原寸で書いたものの、建築全体を見た時にどうバランスできるか不安は拭えなかったが、何とか思ったような形になって、胸をなでおろした。
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            <中庭 屋根の取り付き>
すでに三沢は一度、軽い積雪があったが、これからが本格的な雪の到来だ。
これから内部の仕事に取り掛かりる。
外部と密接したいと、壁や柱を極力少なくして計画したが、その点でも各所うまく納まったように感じている。寒冷地だと木の建具で内外を仕切ることだけでは住環境が保たれず、どうしてもサッシに頼らざるを得ないが、その納まりも十分に検討し、徐々に現場も取付を始めた。
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           <西玄関より中庭部分を見る>
歳末を迎え、一昨日が今年最後の東北だったが、寒さ厳しく北国を実感した。
各所で忘年会も再開され、私も同調しながら、各地の面々と酒を酌み交わしている。やはり建築は、面と向かって職人と話しながら進めなければ仕事にはならない。そのためにも酒席は、ひとつのコミュニケーションの機会であり、互いに思うことを話す絶好のひとときだ。
こんな楽しみを共有できる時間が、誠に愛おしく感じている。
  (前田)

三沢の数寄屋<上棟>

すっかりブログの更新が滞り、誠に忸怩たる思いでいる。
コロナ禍で仕事のキャンセルもあったが、ここにきて以前の状態に戻った。とにかく出張続きで机に向かっている時間がないので、移動中にノートに向かってスケッチする時間が長くなった。
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             <南からの建物全景>
三沢の数寄屋が上棟を迎えた。先月に行うはずだったが、地域でコロナが多発したことから延期されていた。上棟式には施主をはじめ親戚一同が会し、また工事関係者、近所の方々など多くの人が参会して祝うことができた。
建て方は存外早く進んだが、屋根を仕舞う段になると、途端に遅々として進まない。200坪の屋根となると、屋根面積では300坪近くとなって、すべて軒先が化粧垂木になることもあり、慎重にならざるを得ない。
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              <西LDKを望む>
軒先部分で全体の6割ほど、それでも土縁は化粧垂木から屋根下地まで終わったので、これからは進み具合も早くなろう。雪国のこともあり、屋根を冬までに終わらせなければならない。目下、その工程をどう組むかが勝負である。
上棟式の前には構造見学会を開催した。興味がある人を差別なく声掛けし、60人ほどが来てくれたようだ。その中には、青森県林政課をはじめとして県職員の方も10名ほどお越し頂き、熱心に見て頂いたのは嬉しかった。前から言っているが青森の山は多品種の木材が取れ、大径木も豊富にあることから、私から見れば宝の山である。見事な県産材が豊富にある現状を活かして、施策に取り組んでいただければ幸いである。そんな話もさせて頂いた。
なかには以前からの知り合いも数名いて、久々の地域の人たちとの触れ合いに、心暖まる時を過ごしてきた。
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              <東LDKを望む>
屋根を塞げば、いよいよ造作工事となる。
材料の調達も進めているが、規模が大きいだけに、造作材の木作りも待ったなしだ。来年中の完成に向け、かかわる皆の気持ちが一つになった上棟式だった。
すでに三沢は秋本番といったところ、滞在先の宿で初めて暖房を入れた。
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             <構造見学会の様子>
  (前田)

伊勢事務所移転

すっかりブログの更新が滞ってしまい、申し訳ありません。
実は、伊勢を中心に活動してきた伊勢事務所を、5月17日を以て移転しました。
以下、ご挨拶を申し上げます。
伊勢で仕事をはじめ、早や25年が経ちました。
この間 伊勢での活動拠点として数々のプロジェクトを担った伊勢事務所を、このたび移すことにしました。
伊勢の地は私にとって、まさに母胎でした。
多くの方々に支えられ、沢山の教えを授かり、育てて戴きました。
これまで見守ってくださったみなさまに、心からの感謝と御礼を申し上げます。
現在、あるところのプロジェクトに携わっており、漸く計画の最終段階を迎えました。今後、具現化を期して彼の地に拠点を求め、生涯のライフワークとして取り組む覚悟です。
蓄えてきものを 作る建築に傾注し、心機一転 新たな展開に挑みます。
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5年ほど前から、大きなプロジェクトを前提にした会議の議長をしており、ソフトの構築から始めてきました。今年初めに、大きな方向性の確認が取れ、それを基に全体の構築を鋭意進めているところです。
まだ全容を紹介するには至りませんが、本年中で計画を策定、決定し、具現化に向けて行動を開始したいと思っています。
時が来ましたら小欄でも紹介し、併せて彼の地で新たに事務所を開設し、取り組んで参ります。
現在は埼玉の事務所を拠点とし、来春をめどに心機一転を期したいと思います。
今後とも、変わらぬご指導とご鞭撻を、心よりお願い申し上げます。
  (前田)
             

三沢の数寄屋<建て方開始>

以前紹介した青森県三沢市に建つ、数寄屋の建て方が始まった。
敷地が1500坪強ある中に、平屋建てで延べ面積が200坪ともなる建築を作る。図面ではわかっていても、これほど大きいものかと改めて実感している。
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          <東側より建て方を始めたところ>
木材集めから木作り、原寸引き、刻み加工と、すでに一年近くを費やしてきた。架構を構成する木材だけでも相当な量で、柱などには地の杉材を充て、梁や桁には地元の赤松を用いた。昨年今年と、2回の冬の時期に大径木を伐採して調達に充て、杢目を吟味しながら木取りを行った。
青森県はその点、豊富な木材量が今でもあり、思ったより良材が揃ったことはありがたかった。この地域で仕事をしだして20年あまりが経つが、それでも私が来た当時より、かなり材料の数量も少なくなっていると聞いた。
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           <西玄関付近より望むところ>
雪深いところとあって、中央に融雪を兼ねた池を設け、それを囲むように建物が建つ。
建物の大きさでも50m×30mとなり、土台敷きでかなり誤差が生じるのではと案じていたが、見事に寸法通りに納まり、大工の技量の確かさに目を見張った。
まずは、架構の木組みが簡便な東側から建て始め、これから西へと伸ばしていく。
数寄屋となると、軒先のラインを極力低く納め、水平にどこまでものびやかに広がっていく造形を主眼としつつも、内部では、部屋ごとに豊かな空間を創出するため、その矛盾を木組みで解消していかねばならない。
これからの架構の木組みが待たれるところだ。
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            <建物中央から全体を望む>
恐らく、建て方だけでも3か月は掛かるものと思われ、いよいよ足しげく通う日が続くだろう。
庭の構想も進めており、植樹についてもかなり良いものが揃うようだ。
2年後の完成に向け、携わる全員が気を吐いている。
追って工程を紹介していこう。
  (前田)
  

里山のS<竣工3>

小さな建築でもあり、室内はワンルームとしながらも、奥に引込戸の障子を立てて、緩やかに寝室空間を仕切っている。南側は全面に開いた高さ2400ミリの大開口として、室内に雄大な景色を余すことなくパノラマに取り込む。
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       <ウッドデッキより箱根に続く山並みを見る>
軒裏に張った杉小幅板は、内外の区別を感じさせないよう、室内まで伸ばして一面に張った。木の素地の表情を生かしたいと、室内は杉の白太部分だけを取り合わせ、静かな杢目の美しさが際だつようにと目論んだ。
床には赤松の無垢板を張り、75ミリの段差で小松石を張ったテラスへと繋がる。テラスには幅3m、長さ5mのウッドデッキを、テラスと同レベルで大きく張り出し、南面する景色へ手を差し伸べるがごとく、視覚的にも景観を室内に誘う。
ここに座ると、まるで周囲の景色に浮かんだような静寂が包み込む。
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              <室内を見る>
キッチンはアイランド型とし、背面を壁面収納として少ない収納場所を効率的にまとめた。
ワンルームとしたこともあり、奥に浴室などのサニタリーを付属させ、浴室にはガラスを多用して景観とともに光を招き入れた。
駐車場となる建物北側は、堅牢な意匠にとタイル張りの壁とし、上部をガラススリットにして軒裏とを遊離させ、屋根を浮かせている。
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              <浴室を見る>
設備的には前面道路との取り合いからGLを600ミリかさ上げしたことを利用し、床下を使った全館冷暖房の空調空間に充てた。また屋根に載せた太陽光発電を活かし、蓄電池、EV車用の充電設備を備え、開口部には外付けブラインドを設けることで、全面ガラス張りの室内環境に備えている。
この冬でも、空調をつけずとも夜まで暖かく過ごされたと聞いた。
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              <建物の夕景>
建築の置かれた場所性を生かすことが、より建築を生かすことと、これまで取り組んできた。その点、どのような環境であろうと取り込める要素はある。それは建築とふれあうまでのアプローチから始まり、どこでそれらを取り込み、どのように見せていくかの連続でもある。
極めてシンプルな間取りながらも、この雄大な景色を前にして、その思いは一層強くなった。
(完)
  (前田)

里山のS<竣工2>

北側道路からのアプローチと並行して、下段の敷地からのアプローチも用意している。下段の敷地は未完成ながらも果樹園を想定し、来客に対しては歩いて果樹園を巡りつつ、苑路の木段を登りながら上段に建つ建物へと誘導する。
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         <苑路木段を上ってアプローチする>
屋根は緩やかな勾配の片流れとして、軒裏を美しく見せるよう杉小幅板を全面に張っている。軒裏の意匠はそのまま室内にも及び、内外一体の空間が包む。下段からアプローチする客の視線には、この軒裏の意匠が自ずと建物へと誘ってくれるだろう。
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            <建物を南側から見る>
軒先を薄くしてエッジを利かせ、軒の裏板を折りながら張った。大工としては手間な造作だが、小さな建築においては重要な仕事である。
南に面しては大きな土間空間を作り、室内から続く縁側のような多目的な空間を用意した。柱は杉磨丸太の細々としたものとし、室内からの景観を妨げないように配慮し、床にはランダムに割られた小松石を一面に張った。地元でとれる小松石も、通常のルートでは高価なものだが、施主の懸命な交渉で、産出する山から直に譲ってもらうことができたのは幸いだった。庭師が総出で張り込みしてくれたが、予想外に手間がかかった。現場の奮闘のたまものである。
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            <南側テラスを見る>
北側道路からのアプローチも考慮し、当初の敷地面より60センチほど全体にかさ上げして地盤を構成したが、その甲斐あって眺望も一段と素晴らしいものとなった。
(つづく)
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        <テラスのウッドデッキを介し太平洋を望む>
  (前田)

里山のS<竣工1>

小田原板橋の丘陵地に、セカンドハウスとして計画された。
小田原はかつて海岸地域を中心に、伊藤博文の滄浪閣をはじめとする別荘が多く建てられた。しかし1902年の小田原大海嘯によって被害を受けてからは、丘陵地帯であるこの地域に、山縣有朋の古稀庵をはじめ、財閥たちの多くの別荘や別邸が建てられ、一躍景勝地として名をはせた。
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             <室内より景色を望む>
南に向かって太平洋を望み、そこから静かな稜線を描く山並みが、遠く箱根の峰々へと繋がる。初めてこの敷地を訪れたとき、それらの景色を一望できるこの土地の魅力に取り憑かれた。
話しをいただいたのが3年前。施主は早くからこの地を求めていたが、その活用に悩んでいた時期に相談があった。すでに子供も巣立ち、夫婦二人の自邸もあることから、セカンドハウスとして計画することとなった。
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              <表門より望む>
敷地は南北に大きな段差があり、北側にあたる上段部に家を建てることで、より豊かな眺望を獲得したいと目論んだ。北側に道路が取り付くことから、家の北側を駐車場としてなるべく南に寄せて建物を配置している。北側道路には、高さをもった表門を開けて道路からの視線を遮るとともに、門を潜った途端、この地ならではの景色が眼下に望める展開を狙った。表門は門柱を立てた両開き戸のシンプルな形として栗材で整え、門扉は栗のナグリを詰め張りとしている。
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          <下段の敷地より建物を見上げる>
建物は南面する全てを居室として、景色を存分に取り込む。そのためワンルームの間取りとし、それに浴室などのサニタリーを付属する単純な間取りとなった。
また景色を取り込む一方、非日常の楽しみを満喫できるよう、広々とした石張りのテラスを設けて芝庭とつなぎ、一部にウッドデッキを張り出すことで、景観への視覚的なアプローチに寄与させた。
(つづく)
  (前田)

年頭にあたって

新年あけましておめでとうございます。
コロナ禍が続き、社会全体が消極的になっている中にあって、小さな自分の仕事を通じてでも、意気軒昂にと願っている。
4日から出張となった今年の始動で、既に正月気分もすっかり抜けてしまった。
子供のころは正月が長く、もっとゆったりしていたことを思い出す。
前のめりになって、ひたすら邁進し続けることが自分を前進させることとこれまできたが、そろそろ無理のない歩み方で、自分がやりたいことを見据えた方向に舵を切っていこうと思いだした。
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4年越しの計画がようやく昨年末に纏まり、まだ全貌をお見せすることはできないものの、微力ながらも蓄えてきたものを傾注して整えられたと思っている。
大きな計画とあってCG動画も併せて製作しており、もうすぐ完成するのが目下の楽しみである。
また旧臘には、3年前から掛かった計画が動き出しそうだと施主から連絡が入り、静かに心躍らせている。
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正月に子供たちが帰省し、年々彼ららしい考え方が構築されてきている姿を見ると嬉しくも頼もしい。自分もこうしてきたのかは疑問だが、顧みれば生きていくことの大切さは痛感させられる。叶うことに期待せず、信じるものに迷わず突き進む力みたいなものをひしひしと感じた。
私自身は牛歩よろしく、その後を追って、一歩一歩を刻むように歩いて行こう。
今年もこれで始まった。
改めて本年もどうぞ宜しくお願いします。
  (前田)