福岡西中州の鮨店、別邸<竣工1>

工事途中を紹介した、福岡西中州の鮨店の別邸が竣工した。
既に開店してから3か月が過ぎたが、順調な滑り出しのようだ。
携わったところが多くの人に支持されていると聞くと、気持ちが高揚する。
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        <店主の堺さんとカンター材を確認する>
以前に紹介した「福岡西中州の鮨店」の別邸である。
別邸とは私がつけたもので、2号店というのも些かそぐわない気がして、勝手に名付けていた。
店主の堺さんは、鮨にかけてはとびぬけて熱心な人で、人生のすべてをかけているといった熱意が伝わってくる。以前の店を建てた経緯はすでに紹介したが、今もってその気持ちは変わらない。
今回の計画の話が来たとき、当初は何をしたいのかが分からなかった。予定をつけて会ったときに「弟子のために是非ともやりたい」という。
鮨の修業も、他の職とともに大変なのは承知しているが、カウンターの握りは店主しか許されない。たとえ弟子に技量があっても、鮨は握る人を楽しみに来る場所なのだということを、改めて聞かされた。
「鮨は親父を食いに行く」とある人から聞いたことがあったが、まさにその通りなのだと。
弟子も6年程である程度の握りができるようになる。しかしそれですぐに独立出来ればいいが、そう簡単にはいかない。そのような弟子のために、握る場を設けたいのだと聞かされた。
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        <小間の芽付白竹、野地板の割り付け確認>
店を広げれば、人の口に戸は立てられない。耳に痛い陰口も叩かれるだろうと話したが、堺さんの思いは強かった。自分の経験が背景にあるからこその判断だったのだろう。
快く引き受けて、早速場所を見に行った。現在の店の上階で、こじんまりとした大きさで中庭をガラス越しに見ることができる。
そこに、3部屋程度の小部屋を作りたいとの要望だった。
現在の店の竣工にあたって、私の誕生日には必ずここで祝おうといってくれ、これまで毎年続いている。堺さんの若い職人たちとも顔なじみになった。
その彼らが腕を振るう場所ともなれば、自ずと力もみなぎるというものである。
竣工した建物については、次回から紹介していこう。
  (前田)