実施設計を上げて

長い自粛生活にもようやく先が見えてきたようで、些か胸をなでおろしている。
2月には、まさかこれほどの事態になるとは想像だにしていなかった。
映画の中での話が現実となって襲ってくるさまはとても恐ろしい。
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            <とある珈琲店の実施設計>
昨年夏から実施設計が立て続けにあって、5月連休明けまではずっと机にしがみついていた。自粛が余儀なくされていたので、その点では集中して取り組めたのだが、打ち合わせがなかなかできずに、フラストレーションが溜まっていたのも事実である。
今月から少しずつ、外に出ての打ち合わせも始まって、ようやくこれまでの日常に近づいてきた。
2か月ほど閉じこもっているだけで、だいぶ身体もなまったようで、先日地下鉄の階段を一気呵成に上がろうとして息が上がった。これはさすがにまずいと、気持ちばかりのダイエットも試みた。
いまだに私は手書きの図面なのだが、体力が落ちるとたちまち億劫になる。
身体に気持ちが負けるのだろうが、やはり気力の充実は体力あってのことだと、改めて日常の大切さを痛感している次第である。
先ほど一軒の実施設計を上げたが、やはり私は手で書かないと寸法が身体に入ってこない。引く一本の線が「作る」ということで、書きながら作っていく感覚がたまらなく好きなのだと思う。
明日から以前のような出張生活に戻る。
外に出るのが好きなのだろう、そう思うと気持ちが浮ついてくる自分がいる。
まだこれからが自分の信じるものを作れるとき。
生涯、この仕事に恥じぬよう律して臨みたいと、線を引きながら思って書いた。
  (前田)