串本の町家<訃報に接して>

昨日、串本の町家で紹介した「菓子潮さき」を営む施主奥さまから電話があって、ご主人が他界されたことを知った。何とも言葉にできない悲しみにお掛けする言葉も見つからず、ただただ悲嘆に暮れている。
紙面を借りて哀悼を述べさせていただくことを、どうかお許しください。

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           <菓子潮さき 外観>
ご主人はとても温厚な方で、まさに人格者だった。
初めてお会いしたのが伊勢の事務所で、ご夫妻そろってお出ましいただき依頼を受けた。物静かなご主人と明るく利発な奥さまのお二人が、精いっぱいの夢を語ってくれた情景を今も覚えている。
設計が書きあがり、見積もりの段階でなかなか業者が決まらず、結局お会いして3年たって、やっと地元の小寺工務店に決まった。この間が最もご夫妻にとってはつらい時だったと思う。
ご尊父から受け継いだ店を、建物と共にしっかりと根付かせていきたいと発起しての計画だったこともあり、私らとしても何とか形にしなければと思っていた。
どうしても工事金額の折り合いがつかなかったので、「仕様を落としましょうか」と提起したところ、間髪入れずに「それはしないでください。この図面の通りに作りたいので」と、強く仰られたのが忘れられない。

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              <同上>
串本町も古い街で、今もかつての町家建築が点在している。子供のころからそれらを見てきたご主人は、建物と商いとの関係を肌で感じていたのだろう。細部に至るまでも図面を読み込み、ご自身の夢を描いておられた。
建物は町家の形態を踏襲しつつも、厨房は最新鋭の空調換気システムを取り入れたいと、当初から話していた。しかし、そうしたシステムを入れるためには、天井裏のスペースがかなり必要となる。その通りに作れば建物の外観バランスが悪くなり、なかなか厨房設計者と折り合いがつかずにいた。
その時も進んで調整役を買って出られた。自身で納得をするためだったのだろう。妥協を許さないその姿勢に、私たちもぎりぎりの線で落ち合うすべを見出し、設計を書き上げた経緯がある。

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           <店内部を見る>
昨日の電話で奥さまから、「ちょうど今日が開店3周年なんです」と言われたときに、思わず感極まってしまい、電話をおいてすぐに手帳を出して日付を見た。
竣工にあたっては工事関係者を漏れなく呼んで、一席設けていただいた。その席上でも「この建築と共に、この地域に永く愛されるよう、恥じない菓子作りをしていきます」と仰せられ、一同快哉を叫んだのが昨日のことのように想い出される。
店はご子息が引き継いでいて、そうしたご主人の意志をきっと伝えていくことだろう。
今もさまざまな場面がよみがえり、とても言葉を尽くせない。
ご主人の作る菓子は絶品で、仕事中よく戴いた。
とても美味しかった。
上品で優しくて、それでいてどこか光っていた。作るものには必ず人柄が出るものと、改めて感じ入っていた。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。
  (前田)