新生餘慶庵<竣工間際>

連休に入ったものの、これから溜まった仕事に掛からねばならない。
毎年、この連休と盆休みはこれに充てることにしている。
むなしくないかと問われれば、その通りなのだが、これも致し方ない。
今日から机に向かいだした。

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             <入側周り下屋>
京都の餘慶庵もようやく屋根が納まって、銅板、瓦が葺き上がろうとしている。大工仕事も先が見えて、些か胸をなで下ろした。当初はもう3ヶ月の工期の猶予があったのだが、断れない茶会が入ったこともあり、やむなく工期で呑み込むしかなかった。
改修は予想外のことが多く、結局現場で全て納まりを書いた。築100年近く経っているものだけに、見えないところの痛みもかなりあって手間が掛かる。
また、茶室とあって使っている部材も細く、以前の仕事が良くないところを見つけては補修を施しながら、何とか建築としてよみがえりつつある。

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                <妻面の納まり>
以前から、この建物にかかわっている左官や経師屋が背景を支えてくれていて、安心して仕事を任せられるのが、短期間で納まった所以だろう。
追い込みに一心不乱になって取り組む職人たちに囲まれていると、とても心地よい。信頼できる仕事師たちは何よりの宝だ。
今度の建物では、鬼瓦で少し砕けた遊びを入れてみた。
小さなものなので、そう目には立たないが、三州の梶川亮治に焼いて貰っている。これも連休明けには現場に来て取付け、終わり次第に足場を外す算段である。

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           <渡り廊下本堂との取り合い>
向こう50年は修理しないですむような仕事を、というのが当初からの要望で、屋根裏の部材から軒先のはね木に至るまで、吟味して整えたつもりである。
垂木の小丸太も、細いながらも30年もので揃えたので、もう軒先が下がる恐れもないだろう。
連休中も現場は動いているとあって、それを支えに、私も机に向かおうと気持ちを奮い立たせている。
  (前田)