青森県 三沢市
青森の三沢で二世帯の住宅を依頼された。敷地は広大で、施主は数寄屋を強く望まれた。三沢は本州北端にあたり、寒冷地で降雪量も多い。当時敷地は耕作地となっていて、周辺はまばらに家屋が点在する閑静な場所だった。立地からは計画に起因する要素も見当たらず、取り巻く環境から構築するよう、建築に加えて庭も任されることとなった。
代々の名家で、節目の折には集まる人も多く、次第に面積も膨らんでいった。雪の多さから華奢な建築にはできず、強靭な架構を形成しつつ、数寄屋ならではの繊細な造形で仕立てた。
建築への要望から、平屋建ての中庭形式を選択し、建物を雁行させながら、それぞれの棟を屋根の造形で表し、連なりで動きを与えて全体に穏やかな佇まいを目指した。来客用の正面玄関に加えて、家人の通用玄関、若い家族の西玄関を設け、そこからの動線で二世帯の暮らしを整えた。多くの人を招く和室を中庭に面して設け、3部屋を続きの間として、それぞれの玄関からアプローチさせる。中庭は、一面の水を張った水鏡として、この家を包む精神性を象徴させるとともに、冬季に屋根から落ちる雪対策としての役割を担う。
庭は回遊式として、滝口を中心とした枯流れを設け、建物内それぞれの部屋からの見え方を考えて整えた。表門からアプローチ、南庭の広がりから西の紅葉山へと、少しずつ庭も様相を変え、歩く視点からの彩りを添えながら、場所ごとのストーリーに沿って形づくった。
内部空間を充実させ、見どころある外部空間の庭と結びつけることで、内外一体の醍醐味と豊かな環境を構築するのに努めた。また庭園建築として、庭から見る建物も庭の一部としての外観を構成しながら、魅力ある空間づくりを心掛けた。
施主の並々ならぬ熱意が工人らを奮い立たせ、建築も庭も、職人たちが一致結束して腕を振るった。
庭屋一如の理想を、現代の数寄屋でこたえた。